植物に導かれ、島へ。八丈島から始まる『東京産バニラ』
八丈島に降り立つと、まず目に入るのが、背の高いヤシの木や大きなシダ、色鮮やかな花々です。
黒潮の影響を受ける温暖で湿潤な気候のもと、さまざまな植物がのびのびと育つ八丈島。本州では園芸店の鉢植えで見かけるような植物が、庭先や道沿いで大きく育つことも珍しくありません。
こうした環境を生かし、八丈島では古くから植物の栽培が盛んに行われてきました。なかでも、「ロベ」の愛称で知られるフェニックス・ロベレニーは、長く島の農業を支えてきた特産品の一つです。

そんな“植物の島”で今、島の気候を生かし、新たな作物の栽培に挑んでいる人がいます。育てているのは、甘く芳醇な香りで知られる「バニラ」。
世界の主な生産地は熱帯地域にあり、日本で流通するバニラの多くは海外からの輸入品です。なぜ、そのバニラを東京の島・八丈島で育てようと思ったのでしょうか。
「Tokyo Island Vanilla」の松本さんに、植物との出会いから八丈島への移住、バニラ栽培の試行錯誤、そしてその先に描く島の未来について伺いました。
たどっていくと見えてきたのは、一つの「好き」から始まった植物との関わりが、これまで培ってきた経験や島の産業と結びつきながら、松本さん自身の仕事になり、やがて八丈島の新しい可能性へと広がっていく姿でした。
植物に惹かれ、八丈島へ
― 松本さんが八丈島に移住し、農業を始めることになった経緯を教えてください。
松本さん:「移住前は神奈川県でずっと設備関係の仕事をしていました。
東日本大震災の後で仕事がすごく忙しく、私生活でもいろいろなことが重なって、心身ともに深く疲弊していたんです。

そんな自分の気持ちに光を差してくれたのが、心の癒やしを求めて家庭菜園で育て始めた南国の花『プルメリア』でした。
華やかさもそうですが、香りがすごく良くて、品種によって全然違う香りがするんです。それにすっかり魅了されてしまいました。」
― そのプルメリアとの出会いが、八丈島につながっていったのでしょうか。
松本さん:「そうですね。プルメリアをきっかけに、花や葉を編んでつくる『ハワイアンレイ』にどんどん夢中になりました。レイは見た目の華やかさだけではなく、植物それぞれの香りを組み合わせて楽しむ奥深さがあるんです。もっと知りたくなって、本場のハワイ島に通うようになりました。
レイに使われる植物のなかでも特に惹かれたのが、ハワイの儀式にも使われる『マイレ』です。マイレは、ハワイアンにとってアイデンティティそのものともいえる大切な植物なんです。現地でホームステイをしながら、山に入って自生するマイレを見たり、収穫したり、レイづくりを学んだりするなかで、形としてのレイだけではなく、その根底にある文化やスピリットのようなものも教えてもらいました。
そのつながりのなかで、『八丈島でも、レイに使う植物を育てている人がいるよ』と教えてもらったんです。それが、八丈島を訪れるきっかけになりました。」
八丈島を訪れた松本さんの目に映ったのは、南国の花であるプルメリアが、露地でのびのびと育つ光景でした。本州ではなかなか見ることのできないその景色に「ここしかない」と感じ、2016年、八丈島への移住を決意します。
八丈島で見つけた、自分らしい農業
― 八丈島へ移住したあと、どのように農業の道へ進んでいったのでしょうか。
松本さん:「最初は、それまでの経験を生かして設備屋として1年間働きました。その後、紹介を受けてシイタケ農園で1年間お世話になりました。
そこにはレストランのシェフが視察に来ることもあって、『食材って、こんなに注目されるんだ』と肌で感じました。

社長からも、『食べ物をつくる生産者って、本当にリスペクトされるんだよ』と言われて。その言葉がすごく頭に残っていて、自分も食材の生産やってみたいと思うようになりました。」
― そこから、数ある作物のなかで、なぜバニラだったのでしょうか。
松本さん:「シイタケ農園にいた頃、マダガスカルのサイクロン被害で、バニラビーンズの価格が世界的に高騰しているというニュースを見たんです。それで、試しに苗を50本買って、自宅の小さなビニールハウスで育て始めました。すると、数か月で『これはいける』と感じたんです。

僕はそれまで熱帯植物をずっと育ててきたので、八丈島の『湿度が高い』『黒潮の湿った風が吹く』『カンカン照りにならず、曇りがちな日が多い』という環境が、バニラ栽培にめちゃくちゃ合っているなと感じました。」
手応えを得た松本さんは、国内でバニラの商品化に取り組む九州の会社を訪ね、「八丈島でも育てられるのか」と直接相談。可能性を確かめたうえで、事業化へ動き出します。
― バニラを「生業」にしていくためには、どんな工夫が必要だったのでしょうか。
松本さん:「バニラは収穫できるようになるまで時間がかかるので、最初からバニラだけで生活するのは難しいんです。そこで、島の特産である『ロベ』を収入の基盤にしました。役場にも、バニラを新規就農の『新規作目』に入れてもらえないか、と何度も担当者に掛け合いました。
最終的には、『ロベもしっかりやること』という条件で認めてもらいました。そうすると補助金も活用できるので、そこは本当に大きかったですね。」
新しい作物だけを追いかけるのではなく、島で長く育てられてきたロベを農業経営の基盤にしながら、少しずつバニラへと取り組みを広げていく。
そこには、八丈島の既存の農業と新しい挑戦が、緩やかにつながる姿がありました。

「バニラ」の果実(さや)
ロベの島で育つ、新しい作物
こうしてバニラ栽培を本格化させた松本さんは、「Tokyo Island Vanilla」としてブランドを立ち上げました。
ロゴに描かれたジグザグの模様は、横から見ると偶然にも、島と島が手をつないでいるようにも見えます。八丈島だけで完結するのではなく、いつか東京の島々の食材や人ともつながり、それぞれの島の価値を高め合っていきたいという想いが込められているそうです。

一方、前例の少ない作物への挑戦は、決して順調なことばかりではありませんでした。
― バニラ栽培を始めてから、大きな壁にぶつかったことはありますか。
松本さん:「栽培2年目に、ハウスの温度が50度近くまで上がってしまって、苗の根元しか残らないくらい、ほぼ全滅させてしまったんです。バニラは温度管理がすごく難しいんです。しかも八丈島は、島の中でも場所によって天気が違うことがある。自宅周辺は曇っていても、農場は晴れていることがあって、その違いを読み切れませんでした。」
その失敗をきっかけに生かされたのが、移住前から携わってきた設備の仕事での経験でした。

松本さん:「それからは、遠隔でも温度を確認できるセンサーを入れて、温度が上がったときにはミストが自動で作動するようにしました。絶対に同じことを繰り返さないよう、徹底して管理しています。」
植物を育ててきた経験と、設備屋として培ってきた技術。一見すると別々だった松本さんの経験が、バニラ栽培という一つの仕事のなかでつながりました。
そして、バニラを支えているのは松本さん自身の経験だけではありません。
バニラの花は自然受粉が難しいため、一本一本、人の手で人工授粉を行います。その際、松本さんが使っているのが、フェニックス・ロベレニーの葉の根元にあるトゲです。さらに、ロベの成長過程で生じる廃棄物はコンポスト化し、バニラが育つ土壌づくりにも活用しています。
収入の基盤としてだけでなく、人工授粉の道具として、そして土へと還る資源として。八丈島を長く支えてきたロベが、さまざまな形で新しい作物であるバニラを支えているのです。

バニラの花は自然受粉が難しく、竹串や綿棒などを使って人工授粉を行うのが一般的。松本さんはフェニックスロベレニーの葉の根元のトゲを活用
答えのない栽培を、自分たちでつくる
― 前例が少ないなか、栽培や加工の技術はどのように身につけてきたのでしょうか。
松本さん:「国内にはノウハウがほとんどないので、海外の生産地の情報を調べて、翻訳しながらトライ&エラーを繰り返しています。就農前に相談に行った九州の生産者の方とは、今もつながりがあって。どうしても自分では解決できないことがあると、相談してアドバイスをもらっています。ただ、栽培する環境が違えば、教えてもらった方法がそのまま八丈島でうまくいくとは限らないんです。だから、アドバイスを参考にしながらも、八丈島の気候や環境に合った方法を自分なりに探していく必要があります。
特に難しいのが、収穫したバニラから香りを引き出す『キュアリング』です。栽培よりも難しいと感じるくらいですね。プロの料理人に使ってもらえる品質を目指して、先輩たちの力も借りながら、経験と失敗を重ねて試行錯誤しています。」
バニラは、緑色のさやを収穫した時点では、私たちが思い浮かべる甘く芳醇な香りを全く放ちません。収穫後、発酵や乾燥、熟成などの工程を重ね、時間をかけて香りを引き出していく「キュアリング」が必要になります。
栽培だけでなく、その先の加工まで。まだ国内に多くの正解がないからこそ、海外の事例を調べ、自ら試し、失敗し、また確かめる。松本さんのバニラづくりは、完成された方法をなぞるのではなく、八丈島に合った方法そのものをつくっていく仕事でもあります。

収穫したバニラビーンズを手間暇かけて発酵・乾燥・熟成させる「キュアリング」という特殊な工程を経て甘く芳醇な香りを引き出す
バニラが、自分と世界をつないでくれた
― 前例の少ないバニラ栽培に、ここまで情熱を注ぎ続けられるのはなぜでしょうか。
松本さん:「僕は割と内向的な人間なので、何かきっかけがないと、人の輪に入っていけないタイプなんです。でも、バニラがあることで、それを自分のアイデンティティとして、いろいろな人と関わることができるようになりました。
都内の事業者や、一流のフレンチレストランの料理人など、バニラがなければ絶対に出会えなかったような人たちともつながることができました。しかも、その人たちに自分のつくったものを重宝してもらえる。それは、本当にバニラがあるからこそだと思っています。」
ロベも育てている松本さんですが、二つの作物には仕事としての違いも感じているといいます。

松本さん:「ロベの場合は、出荷した先で誰がどう使っているのかまでは見えにくいんです。でもバニラは、実際に使ってくれる人の顔が見える。そこから会話が生まれて、また新しい人につながって、自分の世界がどんどん広がっていく。だからこそ、バニラは僕のアイデンティティになっているんだと思います。たぶん、ここまで僕が熱く語れることは、ほかにないですね。バニラのことなら、ずっと語っていられるくらいです。」
自分がつくったものを介して、人と出会う。人との関係が生まれることで、また自分の世界が広がっていく。松本さんにとってバニラは、単なる農産物ではなく、自分と外の世界をつなぐ媒介にもなっています。そして、その経験は、これからの農業のあり方を考えることにもつながっています。

フェニックスロベレニーの成長過程で発生する廃棄物をコンポスト化することで、バニラが育つ土壌づくりに活用している
松本さん:「人とつながって世界が広がり、自分を表現できる農業なら、これまで農業にまったく関わってこなかった若い人たちにとっても、就農するきっかけになるんじゃないかと思っています。」
バニラから、島の新しい未来をつくる
松本さんの視線は、自分自身の仕事だけにとどまりません。
― バニラを通じて、これから八丈島で実現したいことはありますか。
松本さん:「大きな構想として、『八丈島スイーツツーリズム』を立ち上げたいと思っています。
八丈島には、バニラだけではなく、ジャージー牛の乳製品や特産のフルーツレモン、温泉や豊かな自然環境があります。これらを組み合わせることで、八丈島ならではの新しい価値が生まれると思っているんです。

しかも、農場や牧場、カフェなどを車で15分ほどで巡ることができる。この『島のコンパクトさ』は、大きな強みです。いつか『切り葉日本一の島』に並んで、『スイーツ日本一の島』と言ってもらえるようにしたいですね。」
現在はまだ大きな構想の一つ。
けれど、一つの農産物をつくるだけではなく、島にすでにある食材や場所、人をつなぎ、その関係のなかから新しい価値を生み出そうとする発想には、「Tokyo Island Vanilla」という名前にも込められた松本さんの考え方が表れています。
― その未来に向けて、この島で大切にしていきたいことは何でしょうか。
松本さん:「一つは、自然環境です。海と森が近くて、湿度が高く、適度な風がある。この島の環境があるからバニラを育てられるし、その香りも生まれます。
もう一つは、『助け合いの精神』です。
農業って、一人ではできないんですよ。台風のときや、自分が倒れたときには助けてくれる人が必要です。もちろん、自分も誰かを助ける。お互いにできることを交換しながら関係を築いていくことが、島で暮らしていくうえでは大切なんです。」
そして松本さんが目指しているのは、自分一人の成功でもありません。

松本さん:「僕は、大儲けしたいわけではないんです。でも、生活できるくらいの利益を出せなければ、次に『自分もやってみたい』と思う人への説得力がないですよね。だから、自分が一つのモデルにならなきゃいけないと思っています。きちんと利益を出して、バニラを八丈島の新しい産業として確立する。それを島の産業振興にもつなげていきたいですね。」

最初から、八丈島でバニラを育てようと決めていたわけではなかった松本さん。
心を癒やすために育て始めたプルメリアから、ハワイアンレイ、ハワイ島、そして八丈島へ。農業に出会い、バニラの可能性に気づき、試行錯誤を重ねながら、一つずつ今の仕事を形づくってきました。
その過程では、かつての設備屋としての経験が栽培技術につながり、島で長く育てられてきたロベが、収入の基盤だけでなく、人工授粉や土づくりの面でもバニラを支えています。
新しいものは、何もないところから突然生まれるわけではない。
一人の人がこれまで歩んできた時間と、島に積み重ねられてきた産業や知恵、そして周囲の人との関係。その重なりのなかから、八丈島の新しい農業が少しずつ形になろうとしています。
東京の島で育つ一本のバニラ。
その甘い香りの先に、どんな人や食材、そして島々がつながっていくのか。
松本さんの挑戦は、まだ始まったばかりです。
八丈島で「自分らしい事業」をつくるヒントを、オンラインで。
『わたしらしく しまとくらす』東京の島で、自分らしい事業をつくる。
2026年9月4日(金)、八丈島でそれぞれ異なる形から仕事や事業をつくってきた3名をゲストに迎え、オンラインセミナーを開催します。自分の得意や経験を島でどう生かすのか。地域との関係をどう育て、仕事につなげていくのか。創業や事業承継のリアルな経験から、東京の島で自分らしく働き、暮らすためのヒントを探ります。
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